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2020年01月30日

房わしい生活環境

房わしい生活環境

はじめての生活環境ってどんな環境でしたか?
ぼくの場合は、今は区画整理で跡形も無くなりましたが、
2~10歳まで住んだ環境が最初の記憶です。
家づくりを仕事にしてから、不思議とその記憶が蘇ってくるようになりました。
そして、これまで、家づくりや、まちづくりに関わるごとに、
その最初の記憶が、最も豊かだったことに、だんだん気付いてきました。

房わしい生活環境

ぼくの家族は、この平屋の半分に住んでました。長屋と呼ばれるものです。
隣には、ほぼ同じ家族構成の大家さんの息子家族が住んでいました。

今、こんなことで怒られているとか、隣の家族の生活が筒抜けでした(笑)
子育てで、一生懸命な世代(今のぼくたち)には、きっとよい励みになったかもしれません。

房わしい生活環境

不思議なことに、記憶としては、家の中のことよりも、家の周りのことをよく覚えています。例えばここに井戸があり、コンクリートのふたの上に塩が盛られてました。少しだけ、ふたが開いていて、一人では近づきがたい場所でした。
またこっちの境界塀はコケがふんわりとはえていたと思います。

房わしい生活環境

ここの2階建てには、きっとおしゃれだったなぁと思う同世代の4人家族が住んでました。
いい家族だったなぁ...元気かなぁ?
そして半分は、高校生くらいのお姉さん2人とお母さんの3人家族が住んでました。
たまにピアノの音が聞こえてきました。

房わしい生活環境

ここは大家さんの家で、隣地沿いが屋敷林で囲われた、やや立派な屋敷でした。
この屋敷だけ門扉があり、入ってはいけない!と教えられていました。
遊び場にはならなかったので、広さの感覚があいまいです。
そして、他の孫にとっては、禁断の場に居るおじいさん(大家)は、どこか遠い存在で、こわい印象が残ったままです。

房わしい生活環境

ここにも同世代の女の子の家族が住んでましたが、
習い事をたくさんやっていたのか、そんなに遊べなかったような気がします。

房わしい生活環境

アプローチ沿いの隣地には、平屋におばあちゃんが住んでいて、
そこにある低い境界塀で遊んでいると、地窓(下の窓)から、
お菓子がでてきたのを思い出します。

房わしい生活環境

この生活環境の特徴は、敷地内6世帯が、一つの房(ふさ)となって、共生していたことです。
自分の子供や孫以外の、他人の子供や孫も同じ房の実として、
しかられたり、面倒を見てもらったり、お菓子を与えてくれたり、
ここには「家族の次のきずな」が確実にあったように思えます。

袋小路で、向う三軒両隣(むこうさんげんりょうどなり)のこのような生活環境は、
私が住んでいた地域(30年くらい前)では、いくつか存在していたような気がします。
出入り口が一箇所で、通り抜け出来ない道路は、安寧の秩序が保たれていたと思います。

区画整理前には、道路(幹)に一房さがっていたこの生活環境が、
都市の機能性や合理性を優先した区画整理がなされ続けたことで、
道路(枝)に一つずつ実(家)をつける現在の街並みへと変わり、
「家族の次のきずな」が、向う三軒両隣ではなくなってしまったように思えます。

このような環境を少しずつ再興したい!と願いながら、
別々の枝の一つ一つの家(実)を設計していきたいものです。



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