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2012年12月02日

単純な脳、複雑な「私」  を読んだ後、考えたこと

単純な脳、複雑な「私」  を読んだ後、考えたこと

★読んだあと、考えたこと (本著に記載されている内容ではありませんので...)
本著では、脳は「事実」を、実際の世界は「真実」であると書かれていた。
確かに、脳は思い込みの激しいもので、錯覚やカクテルパーティー効果(聞き耳を立てる)、理想色(記憶上の色)、相関対比、うわさ話、妄想など自分や周りにあわせ都合のいいように判断しているのが、自分だと思った。
著者の言う通り、自分のことは自分が一番知らないはずです。
特に周りに流されたり、逆らったりしているのが、僕なので(笑)

単純な脳、複雑な「私」  を読んだ後、考えたこと
いかにも哲学で問われそうな問いを、著者は、リカージョン(入子構造)の罠に陥ることなく、脳科学的に語っている。
はじめの方で「サイエンス、実験科学は因果関係ではなく、相関関係を示すもの」という部分が印象深い。
20代、よく自分を探しに行く!と言わんばかりに、一人旅をしてみたり、小説世界に憧れたりしたが、実際、特別な何か土産を持ち帰ったわけでもなく、その時間に浸ることで、あいまいに納めてきたような気がする。
はずかしいけどナルシストだったんです私。30代になった今も、若干その気は残るのだが...
人間は自分で真実を見極めることよりも、客観的主観により「事実」を「真実」のように思い込んで生きている。
都合のよい生物である。逆に言うと、うそや歪みまでも取り入れ、順応化していけるわけだ。
たとえば私の息子が、生後3ヶ月のときと、1歳とでは、寝ているときの音に対するリアクションがあきらかに違う。
脳に制御されオーバーじゃなくなったのだと思う。実際には反応しているが、バイクの騒音に毎回こんなリアクションでは、体がもたないからと、生きていくためのバージョンアップ?というかわざと機能ダウンしたということでしょう。

単純な脳、複雑な「私」  を読んだ後、考えたこと
本著の最終章では、脳のノイズについて書かれている。脳はノイズを取り入れることで、様々な機能を得ている。感覚細胞は単純な機械であるにも関わらず、自分を取り巻く全ての関係、相関関係こそが、複雑な私を生み出していると書かれている。
塀をつたい屋根にぴょんぴょんと上っていくネコが、ぼ~んと転落したのを目の当たりにしたことがある。ささっと何事も無かったかのように、軽快に去っていく。ネコだって脳が揺らいでいるから、失敗もする。私はネコが転落するはずがないと思い込んでいるから、衝撃的な事実となったわけです。

最後にこの本を読んで、数日間この曲を口ずさんでいる



タグ :読書

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